武相荘とわが家

新百合ヶ丘に新居を構えた友人夫婦宅を訪ね、上げ膳据え膳でお世話になりました。人が暮らす家を見学するのが何より興味がある性分の私は、まだ入居して半年、おまけに7か月の乳幼児もいるというのに、友人夫婦の好意に甘え2泊させて頂きました。おまけに近くにあるという武相荘へも案内してくれました。養蚕農家を改造した民家の住まい、白洲次郎、正子が暮らしていた当時を想像しながら巡りました。入ってすぐの土間は15儚僂稜鬚ぅ織ぅ襪貼られたオンドル式の床暖、ここはリビングで、上に上がる梯子が横にあり、下から屋根裏の空間が見えます。そこは物置で、蚕を育てていた部屋だったそうです。母屋の手前にある建物が食堂、レストランになっています。竹藪が家の周囲に広がっていて、青森ではなかなかこういう雰囲気はない。

駐車場からはここを通って行きます。↓

母屋↓室内は撮影禁止

レストランで珈琲タイム↓ 焼き林檎のデザート シナモンが効いて美味しかった。

因みに白洲正子は、料理は一切しなかったとスタッフに聞き、妙に納得。

有名な次郎(1902-1985年)の直筆の遺言書「葬式無用、戒名無用」が正子(1910-1998年)の書斎に入る手前の空間に展示されていました。

で、青森に戻った夜、わが家はすっかり雪で覆われ、自分は別世界に暮らしているのだと痛感!

 

 

クリスマス もみの木について 

↑使い終わったもみの木、指定された場所に捨てられる(ストックホルム)

スウェーデンでは、使い終わったもみの木を決められた場所に投棄することになっている。ところが最近、家の窓から投げ、そのまま棄てられたもみの木がストックホルムの街で見かけるようになったと、昨年、メールで友人が画像付きで教えてくれた。ストックホルムでもこういうことが起きているのだとビックリした。

不法に投棄され枯れたもみの木↓

日本のIKEAでは、この時季、生のもみの木を販売していて、販売当日は長い行列が出来るほどの人気だという。そして、使い終わったもみの木も回収している。もみの木は日本の農家が野菜を栽培するように専用に育てたもので自然破壊ではない。回収したもみの木もチップなどに再利用されている。ネットで、日本のIKEAスタッフが、スエーデンでは「使い終わったもみの木を窓から投げる風習がある」と云っていた。ストックホルムという都会に暮らす友人のメールから察するに、風習は風習としてあったとしても回収するルールがあるのだと想う。

IKEAのように使い終わったものに最後まで責任が持てるというのは気持ちがいい。世の中、必ず無礼者は一部で存在するけれど、多数派がちゃんとした側に立てれば良いのだ・・・と想いつつ、最後はどうなるのか確信が持てない多くの物を使い、ゴミを生み出し暮らしている自分がいる・・・。

日常の中にある救い

お茶をテーマにした企画展が終わりましたが、実は、このテーマ以前読んだ記事が少しあたまにありました。それを紹介します。

ベラルーシのノーベル文学賞作家 スペトラーナ・アレクシェーピッチ氏に記者が次のような質問をしました。

「悲惨な体験をした人々は、どのようにその絶望から救われるのでしょうか?」

氏は答えます・・・人は案外いろいろなことに救われます。子供への愛もそうです。子供の匂いの中に救いがある場合もあります。音楽も。朝起きてコーヒーを飲む。そうした日常の中にも救いがある。人生は興味深いものです。

 

この簡潔な答えは、人間に対する信頼に満ちた力強い説得力を感じます。意味や解釈や理由など無い人間のシンプルな感情が見えてきます。案外、ひとが救われるのは日常のささやかなひとコマに宿っているのかもしえません。

 

 

 

チャップリンの切実な名言 

チャップリンの映画「独裁者」を久しぶりにまた見ようとTUTAYAに行って、ついでに「ライムライト」も借りてきた。この2本の映画はこれまでも何度か見ているけれど、感銘の度合いがこれまで以上に、切実に深く響いてきて、返すまで何度も繰り返し見てしまった。

 

あらためてチャップリンを調べてみた。

「私は祖国を愛している。だが、祖国を愛せといわれたら、私は遠慮なく祖国から出ていく」といったチャップリン、ヒトラーと同じ生年・月で(チャップリンが4日早い)小柄で黒髪、ちょび髭、信じがたい偶然が重なっている。「独裁者」を最後に、チャップリンはちょび髭をやめている。そして、「パントマイムは世界共通語」とサイレントにこだわってきた彼が、映画の最後の演説のシーンの為に、ついにトーキーを採用した。それまでで最大のヒットとなった。ヒトラー政権が最も強大だったドイツでは上映禁止、勿論同盟国日本は非公開。ドイツで上映されたのが1958年、日本が1960年だった。

 

独裁者・映画の最後、世界の人々に呼びかけた大演説 いま改めて・・・。

「地球には全人類を包む豊かさがある。自由で美しくあるべき人生は貪欲により汚され、憎悪が世界を覆い、流血と惨めさが残った。スピードが自由を奪った。機械により貧富の差が生まれ、知識を得た人類は優しさをなくし、感情を無視した思想が人間性を失わせた。知識より大事なのは思いやりと優しさ。それがなければ機械も同然だ」「人々よ、絶望してはならない。民衆は権力を取り戻し、自由は再び人々の手に!兵士諸君、良心を失うな!独裁者に惑わされるな!君たちは支配され、まるで家畜のごとく扱われている。彼らの言葉を信じるな!彼らには良心も人間性もない!君たちは機械ではなく、人間なのだ!人を愛することを知ろう。愛があれば憎しみは生まれない。兵士諸君、自由のために戦うのだ!」「民主主義の名のもとに一つに団結しよう!新しい世界のために戦おう!雇用や福祉が保証された世界のために!独裁者たちも同じことを言った。だが口先だけで約束を守らなかった。彼らは思いどおりに人々を操った。約束を果たすために戦おう!世界の解放のため、国境を越え、愛のある世界のために戦おう!良心のために戦おう!科学の進歩が全人類を幸福に導くように。兵士諸君、民主主義のために団結しよう!」

私憤

着楽服展が無事に終了し、会期が終わってからも購入された何人かのお客様から同じものが欲しいという連絡をいただく。お客様が身に着けた着楽服を見てご友人も着たいとなったようで、残念ながら在庫がなかった方、幸い一点だけあった方と明暗が分かれました。が、こんな風に気に入って下さる方が繋がるというのは、企画者として本当に嬉しいことです。

 

ところがこんな気分を減退させる昨日の加計の会見、そして、W杯サッカーの日本勝利を案の定、プロパガンダに利用し、あきらめてはダメ、やれば出来る etc・・透けてみえる首相の言葉。・・・恥じらいというもののない、手の付けられない「正しさ」がいまだ公然と牙城のように存在し続けている。

 

高齢者と警察犬とプラチナのルーペ!

午前中、何やら家の前が騒がしいと・・・外に出てみたら、ご近所の家の前に見慣れない車が3台、更にわが家の近くにパトカーが止まっていて、警察官がお向かいの家の前で聞き込みをしている。何かあったのか? 更に私服の警察関係者と思われる5人の人物が車が止まっている家の前に集まっていて、その中の一人は警察犬を連れ、人探しをしている様子・・・きっとわが家にも聞き込みにくるのかしら、と、身構えていた。 しばらくして事情が少し解った。どうもご近所の高齢の女性が徘徊により行方不明となり、隣近所の家の周りや物置など警察犬を使って捜索していたらしい。わが家に聞き込みに来る前にすでに無事見つかったようだった。

そのお宅に高齢者がいるというのも、そもそも家族構成すら認識していないといういまどきのこういう環境は、何かが抜け落ちているような遣り切れない想いになる。

 

この日,午後から出かけた美容院で杖をついた高齢の婦人のきゃしゃな佇まいが鏡越しに目に入った。慣れた様子で椅子に腰かけ、パーマをかけてもらいながらいろいろ話している。この婦人は94歳で約50年前この美容院が開業した当時からのお客様だという。首に掛けたプラチナのルーペ(これは使うときにそう話したのが聞こえた)を使って雑誌も眺めている。ふっと、こういう光景も、そして午前中の徘徊騒ぎも、これからはいずれも見慣れたものになっていくのだろうか・・・・と、複雑な気持ちが入り混じる。

 

 

 

不動の怒り

一昨日の国会での証人喚問をラジオで聴いていて、何処からか何か手の付けられない「正しさ」が公然と牙城のように存在し、それは無人格で無人称な権力の集団を炙り出しているように感じた。そして、不動の怒りが沸いていた。

 

以前新聞で読んだ言葉を思い出している。人間は万事に関心を払うことはできないし、払うべきでもない。だが、何に無関心かによって社会の質が決まる 

いま社会の質、国の質が問われている。この不動の怒りを確かな物差しにして、関心を寄せ続けている。

 

 

 

地球市民賞 

活動に参加しているNPO「NAGOMI VISIT」が国際交流基金より地球市民賞を受賞しました。日本の一般家庭が訪日外国人旅行者を自宅に招き、家庭料理でもてなすというこの活動は、2011年からはじまりました。私は2015年からホストとして登録し、これまでにオーストラリア、スエーデン、アメリカ、マレーシア、カナダからゲストを迎入れています。「同じ釜の飯を食い」ながら、互いの国の食べ物やライフスタイル、労働環境、社会環境、政治、旅に対する考え方など、それぞれが直に理解を深める機会となっています。更に、その後もメールでの交流が続き、出会ったゲストを通してその国がとても身近な存在になっていることに気づいています。

 

受賞理由を少し紹介します。

この活動の面白いところは、これならやってみようという一歩を踏み出しやすい、とても気軽に国際交流ができる点です。ゲスト側は全世界から、ホスト側は日本全国で、という地域的広がりがある点も際立った特徴です。人的にも財政的にも最小限の体制でなされていますが、寄付金や補助金に頼らず、持続可能性が高く、ウェブを活用した国際交流活動として先進的な取り組みであると評価できます。 

「顔」について

最近知った言葉、「顔」はロシア語でリツォーといって、この単語から「人格」を意味するリ−チナスチという言葉が生まれた。

 

先のブログで紹介したソローは「顔」について次のように語っている・・・あらゆる人間は、自分が崇拝する神に捧げた肉体という神殿を、純粋に自己流の様式で建てる建築師であり、かわりに大理石をハンマーでたたくことによって、そこから逃げ出すわけにはいかないのである。われわれはみな彫刻家であり、画家であって、その材料はわれわれ自身の血と肉と骨である。少しでも気高い心があれば、すぐさま顔立ちの上品さとなってあらわれ、野卑で肉欲的なところがあれば、その顔は獣じみてくる・・・・

 

注目の国の「顔」を浮かべてみる・・・米国、北朝鮮

目下、品性が何処にあるのか探している「顔」がある・・・首相、財務相

比べてみたい「顔」もある・・・・佐川さんと前川さん

 

そして、自分の「顔」は?

 

未読・石牟礼道子「苦海浄土」

2月10日 石牟礼道子さん(90歳)が亡くなった。私の誕生日からちょうど5日後、それは何の関係も無いのだけれども、いまだに「苦海浄土」を読まずにいることにはっと気づいている。

昨年12月に朗読会で取り上げた「ハーメルンの笛吹き男」、この作品を調べていたら阿部勤也/著「ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界」に辿りつき、文庫の解説は石牟礼道子さんで、それは書き出しから印象深かった。

・・・ブリューゲルやヒエロニムス・ボッスの世界を、ながい間ながめて思っていたことだった。十五・六世紀ごろ教会の祭壇画として描かれこれらの絵は、なんという世界を表出していることだろう。これほど醒めた目で、寓意と暗喩と呪符をしのばせた世界を丸ごと描いた画家はその後出てこない。ことにボッスの、ほとんど世界の虚無とでも名づけられそうな透視力のあるまなざしは、どのような人間たちの肉声と身悶えに接していたのだろうか。・・・・

 

阿部勤也が調べ上げたハーメルンの笛吹き男にまつわる中世の下層の民の歴史、そして、この解説を読んでいらい、ブリューゲルやボッスの絵は、その面白さだけではなく人間の社会の奥深く刷り込まれた遍歴の傷痕の息遣いが感じられ、中世から今の社会にもその傷痕は別な形で繋がっているのだという実感を抱いている。

 

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