展覧会は終わって・・・

企画展が無事終了しても、ほっとするのはまだ先で、今度は作品のお届けや作家に無事返却するという作業が残っています。梱包作業はかなり気を遣う作業です。企画者としてこの返却作業は、とても大事な作業であると想っています。以前、作品が戻った作家さんから、梱包の仕方にお礼を云われたことがありますが、企画者として最後まで責任を持って臨みたいと想っています。ということで、昨日でお客様にも、作家さんにも発送作業が終わり、今日でやっと一息。

次回、企画展は8月16日〜31日 現代陶芸の安藤郁子展。スタジオ・ナイーブ企画としての彼女の個展は13年振りとなります。どうぞお楽しみに・・・。

面倒くさいは、頭も体も劣化させる?

最近、まじめに週一は市の運動施設「元気プラザ」へ行っている。開脚で床に頭も着くし、重いダンベルでスクワットもするし、ウォーキングマシーンも少しずつ時間が長く出来るようになっている。運動は人間が生きる上で食事と同じように不可欠な存在であると再認識し、本腰をいれている。実はトレーニングを20代から続けている夫に誘われる度に、気が向いた時だけ行っていた程度。理由は面倒くさいから。こんな人間のままだと、その内、運動をさせるよう仕向けるAIの道具に操られるかもしれないと、本気で想う。

家についても寒い、暑い度に調整するのが大変だから、空調は自動でコントロールしてくれるのが現代の住まい。先日、面白い話を聞いた。大きな家を手放し、コンパクトでハイグレードなマンションに引っ越し、ある日、うとうと眠って仕舞った。どれ位眠ったのか憶えていない。気が付くと顔の皮膚がガサガサに捲れていたという。理由は不明だけれど、嘗ての古い一軒家では起きなかった事。面倒くさいと思う心が便利さに向かわせるけれど、便利にしなくても良いものと、便利にした方がよいものとごちゃ混ぜになっているような気がする。そのごちゃ混ぜをそれぞれちゃんと自分でジャッジ出来れば良いのだと想うけれど、これは日々の暮らしの中で体に浸み込んで仕舞ったようなものを気づきもせずに頭や体は劣化へとひたすら向っているのかもしれない。

冷蔵庫は人生を複雑にする?

元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣みえ子さんのアエラ連載「アフロ画報」の冷蔵庫の記事が面白い。3・11をきっかけに冷蔵庫を持たない生活、節電生活を実践している稲垣さんは、朝日新聞に掲載された冷蔵庫の片付けを進める記事に注目する・・・すぐ食べるもの、急がないものを区別し一目でわかるようにすれば食材を腐らせることもなくなり食事の支度の時間も短縮できる・・・これに対し稲垣さんは考える

 「思うに、冷蔵庫は人生を複雑にするんですよね。それは、冷蔵庫の中には欲が詰まっているからです。あれも食べたいこれも食べたい。でも実際に食べられるものは限られていて、一時の欲はいつの間にか忘れ去られ、腐り……という無限ループ。そうこうするうち自分が本当は何をしたいのかがわからなくなる。ここをちゃんと制御できる人(冷蔵庫を整理できる人)は問題ないんでしょうが、私には無理だった。なので冷蔵庫をやめて強制的に欲望を制御されスッキリ。冷蔵庫は私の人生を腐らせていたのです。」

 

なまじ冷蔵庫があるばかりに・・・どんどん備蓄して、その内に備蓄したものを完璧に消費できるかどうかという問題を抱えていく。その日食べるものをその日に買っていた時代があった。賞味期限のラベルが付かなくても、ちゃんと自己判断能力が備わっていた。

・・・ものを腐らせない為の冷蔵庫は、ものを腐らせるという皮肉をはらんでいた・・・・

 

 

2019年は野うさぎの足跡でスタート

2019年 明けましておめでとうございます!

元旦は穏やかな朝でした・・・・。

2階の窓から動物の足跡を発見! 小さな穴からYの字に足跡がみえます。どんな動物かしらと不思議に想っていたら、夫は野うさぎではないか、と・・・・すぐにネットで検索したら、当たっていました! 暖かい陽気のせいで、冬眠の穴から出てきていたようです。年末には狸のものと思われる丸い足跡が家の前の道に付いていたし、更にその前にはキツネと思われる一直線の細長い足跡がガレージの横に付いていました。容易に姿は見せませんが、野生動物に囲まれているわが家です!

 

 

氷点下の日です。

昨日と打って変わって、−5℃の今日は窓からの景色もこんな感じ。

お正月は東京から友人ファミリーがやってきます。これまで青森の春も夏も訪れてくれていますが、冬を体験するのは初めての彼らです。この冬があるからこその春であり夏なのだということを感じてほしいと想っています。

鳥は野にあるべし、鳥は野鳥であるべしという哲学から日本野鳥の会を創始、自然保護に対する活動を日本ではじめて唱えたと云われている中西悟堂(明治28年〜昭和59年)、氏の晩年の習慣は厳寒に裸で座禅、「厳寒はハダカの旬である」とハダカの哲学を唱えていました。厳寒こそは人間を鍛えるともいっています。私は鍛えられているのだろうか? オール電化が登場したあたりから家じゅうどこでも暖かい家に暮らせるという快適さが一般的になってきて、そのことと引き換えに、ひょっとしたら何か人間の大事な能力を失っているのかもしれない。

武相荘とわが家

新百合ヶ丘に新居を構えた友人夫婦宅を訪ね、上げ膳据え膳でお世話になりました。人が暮らす家を見学するのが何より興味がある性分の私は、まだ入居して半年、おまけに7か月の乳幼児もいるというのに、友人夫婦の好意に甘え2泊させて頂きました。おまけに近くにあるという武相荘へも案内してくれました。養蚕農家を改造した民家の住まい、白洲次郎、正子が暮らしていた当時を想像しながら巡りました。入ってすぐの土間は15儚僂稜鬚ぅ織ぅ襪貼られたオンドル式の床暖、ここはリビングで、上に上がる梯子が横にあり、下から屋根裏の空間が見えます。そこは物置で、蚕を育てていた部屋だったそうです。母屋の手前にある建物が食堂、レストランになっています。竹藪が家の周囲に広がっていて、青森ではなかなかこういう雰囲気はない。

駐車場からはここを通って行きます。↓

母屋↓室内は撮影禁止

レストランで珈琲タイム↓ 焼き林檎のデザート シナモンが効いて美味しかった。

因みに白洲正子は、料理は一切しなかったとスタッフに聞き、妙に納得。

有名な次郎(1902-1985年)の直筆の遺言書「葬式無用、戒名無用」が正子(1910-1998年)の書斎に入る手前の空間に展示されていました。

で、青森に戻った夜、わが家はすっかり雪で覆われ、自分は別世界に暮らしているのだと痛感!

 

 

クリスマス もみの木について 

↑使い終わったもみの木、指定された場所に捨てられる(ストックホルム)

スウェーデンでは、使い終わったもみの木を決められた場所に投棄することになっている。ところが最近、家の窓から投げ、そのまま棄てられたもみの木がストックホルムの街で見かけるようになったと、昨年、メールで友人が画像付きで教えてくれた。ストックホルムでもこういうことが起きているのだとビックリした。

不法に投棄され枯れたもみの木↓

日本のIKEAでは、この時季、生のもみの木を販売していて、販売当日は長い行列が出来るほどの人気だという。そして、使い終わったもみの木も回収している。もみの木は日本の農家が野菜を栽培するように専用に育てたもので自然破壊ではない。回収したもみの木もチップなどに再利用されている。ネットで、日本のIKEAスタッフが、スエーデンでは「使い終わったもみの木を窓から投げる風習がある」と云っていた。ストックホルムという都会に暮らす友人のメールから察するに、風習は風習としてあったとしても回収するルールがあるのだと想う。

IKEAのように使い終わったものに最後まで責任が持てるというのは気持ちがいい。世の中、必ず無礼者は一部で存在するけれど、多数派がちゃんとした側に立てれば良いのだ・・・と想いつつ、最後はどうなるのか確信が持てない多くの物を使い、ゴミを生み出し暮らしている自分がいる・・・。

日常の中にある救い

お茶をテーマにした企画展が終わりましたが、実は、このテーマ以前読んだ記事が少しあたまにありました。それを紹介します。

ベラルーシのノーベル文学賞作家 スペトラーナ・アレクシェーピッチ氏に記者が次のような質問をしました。

「悲惨な体験をした人々は、どのようにその絶望から救われるのでしょうか?」

氏は答えます・・・人は案外いろいろなことに救われます。子供への愛もそうです。子供の匂いの中に救いがある場合もあります。音楽も。朝起きてコーヒーを飲む。そうした日常の中にも救いがある。人生は興味深いものです。

 

この簡潔な答えは、人間に対する信頼に満ちた力強い説得力を感じます。意味や解釈や理由など無い人間のシンプルな感情が見えてきます。案外、ひとが救われるのは日常のささやかなひとコマに宿っているのかもしえません。

 

 

 

チャップリンの切実な名言 

チャップリンの映画「独裁者」を久しぶりにまた見ようとTUTAYAに行って、ついでに「ライムライト」も借りてきた。この2本の映画はこれまでも何度か見ているけれど、感銘の度合いがこれまで以上に、切実に深く響いてきて、返すまで何度も繰り返し見てしまった。

 

あらためてチャップリンを調べてみた。

「私は祖国を愛している。だが、祖国を愛せといわれたら、私は遠慮なく祖国から出ていく」といったチャップリン、ヒトラーと同じ生年・月で(チャップリンが4日早い)小柄で黒髪、ちょび髭、信じがたい偶然が重なっている。「独裁者」を最後に、チャップリンはちょび髭をやめている。そして、「パントマイムは世界共通語」とサイレントにこだわってきた彼が、映画の最後の演説のシーンの為に、ついにトーキーを採用した。それまでで最大のヒットとなった。ヒトラー政権が最も強大だったドイツでは上映禁止、勿論同盟国日本は非公開。ドイツで上映されたのが1958年、日本が1960年だった。

 

独裁者・映画の最後、世界の人々に呼びかけた大演説 いま改めて・・・。

「地球には全人類を包む豊かさがある。自由で美しくあるべき人生は貪欲により汚され、憎悪が世界を覆い、流血と惨めさが残った。スピードが自由を奪った。機械により貧富の差が生まれ、知識を得た人類は優しさをなくし、感情を無視した思想が人間性を失わせた。知識より大事なのは思いやりと優しさ。それがなければ機械も同然だ」「人々よ、絶望してはならない。民衆は権力を取り戻し、自由は再び人々の手に!兵士諸君、良心を失うな!独裁者に惑わされるな!君たちは支配され、まるで家畜のごとく扱われている。彼らの言葉を信じるな!彼らには良心も人間性もない!君たちは機械ではなく、人間なのだ!人を愛することを知ろう。愛があれば憎しみは生まれない。兵士諸君、自由のために戦うのだ!」「民主主義の名のもとに一つに団結しよう!新しい世界のために戦おう!雇用や福祉が保証された世界のために!独裁者たちも同じことを言った。だが口先だけで約束を守らなかった。彼らは思いどおりに人々を操った。約束を果たすために戦おう!世界の解放のため、国境を越え、愛のある世界のために戦おう!良心のために戦おう!科学の進歩が全人類を幸福に導くように。兵士諸君、民主主義のために団結しよう!」

私憤

着楽服展が無事に終了し、会期が終わってからも購入された何人かのお客様から同じものが欲しいという連絡をいただく。お客様が身に着けた着楽服を見てご友人も着たいとなったようで、残念ながら在庫がなかった方、幸い一点だけあった方と明暗が分かれました。が、こんな風に気に入って下さる方が繋がるというのは、企画者として本当に嬉しいことです。

 

ところがこんな気分を減退させる昨日の加計の会見、そして、W杯サッカーの日本勝利を案の定、プロパガンダに利用し、あきらめてはダメ、やれば出来る etc・・透けてみえる首相の言葉。・・・恥じらいというもののない、手の付けられない「正しさ」がいまだ公然と牙城のように存在し続けている。

 

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