私憤

着楽服展が無事に終了し、会期が終わってからも購入された何人かのお客様から同じものが欲しいという連絡をいただく。お客様が身に着けた着楽服を見てご友人も着たいとなったようで、残念ながら在庫がなかった方、幸い一点だけあった方と明暗が分かれました。が、こんな風に気に入って下さる方が繋がるというのは、企画者として本当に嬉しいことです。

 

ところがこんな気分を減退させる昨日の加計の会見、そして、W杯サッカーの日本勝利を案の定、プロパガンダに利用し、あきらめてはダメ、やれば出来る etc・・透けてみえる首相の言葉。・・・恥じらいというもののない、手の付けられない「正しさ」がいまだ公然と牙城のように存在し続けている。

 

高齢者と警察犬とプラチナのルーペ!

午前中、何やら家の前が騒がしいと・・・外に出てみたら、ご近所の家の前に見慣れない車が3台、更にわが家の近くにパトカーが止まっていて、警察官がお向かいの家の前で聞き込みをしている。何かあったのか? 更に私服の警察関係者と思われる5人の人物が車が止まっている家の前に集まっていて、その中の一人は警察犬を連れ、人探しをしている様子・・・きっとわが家にも聞き込みにくるのかしら、と、身構えていた。 しばらくして事情が少し解った。どうもご近所の高齢の女性が徘徊により行方不明となり、隣近所の家の周りや物置など警察犬を使って捜索していたらしい。わが家に聞き込みに来る前にすでに無事見つかったようだった。

そのお宅に高齢者がいるというのも、そもそも家族構成すら認識していないといういまどきのこういう環境は、何かが抜け落ちているような遣り切れない想いになる。

 

この日,午後から出かけた美容院で杖をついた高齢の婦人のきゃしゃな佇まいが鏡越しに目に入った。慣れた様子で椅子に腰かけ、パーマをかけてもらいながらいろいろ話している。この婦人は94歳で約50年前この美容院が開業した当時からのお客様だという。首に掛けたプラチナのルーペ(これは使うときにそう話したのが聞こえた)を使って雑誌も眺めている。ふっと、こういう光景も、そして午前中の徘徊騒ぎも、これからはいずれも見慣れたものになっていくのだろうか・・・・と、複雑な気持ちが入り混じる。

 

 

 

不動の怒り

一昨日の国会での証人喚問をラジオで聴いていて、何処からか何か手の付けられない「正しさ」が公然と牙城のように存在し、それは無人格で無人称な権力の集団を炙り出しているように感じた。そして、不動の怒りが沸いていた。

 

以前新聞で読んだ言葉を思い出している。人間は万事に関心を払うことはできないし、払うべきでもない。だが、何に無関心かによって社会の質が決まる 

いま社会の質、国の質が問われている。この不動の怒りを確かな物差しにして、関心を寄せ続けている。

 

 

 

地球市民賞 

活動に参加しているNPO「NAGOMI VISIT」が国際交流基金より地球市民賞を受賞しました。日本の一般家庭が訪日外国人旅行者を自宅に招き、家庭料理でもてなすというこの活動は、2011年からはじまりました。私は2015年からホストとして登録し、これまでにオーストラリア、スエーデン、アメリカ、マレーシア、カナダからゲストを迎入れています。「同じ釜の飯を食い」ながら、互いの国の食べ物やライフスタイル、労働環境、社会環境、政治、旅に対する考え方など、それぞれが直に理解を深める機会となっています。更に、その後もメールでの交流が続き、出会ったゲストを通してその国がとても身近な存在になっていることに気づいています。

 

受賞理由を少し紹介します。

この活動の面白いところは、これならやってみようという一歩を踏み出しやすい、とても気軽に国際交流ができる点です。ゲスト側は全世界から、ホスト側は日本全国で、という地域的広がりがある点も際立った特徴です。人的にも財政的にも最小限の体制でなされていますが、寄付金や補助金に頼らず、持続可能性が高く、ウェブを活用した国際交流活動として先進的な取り組みであると評価できます。 

「顔」について

最近知った言葉、「顔」はロシア語でリツォーといって、この単語から「人格」を意味するリ−チナスチという言葉が生まれた。

 

先のブログで紹介したソローは「顔」について次のように語っている・・・あらゆる人間は、自分が崇拝する神に捧げた肉体という神殿を、純粋に自己流の様式で建てる建築師であり、かわりに大理石をハンマーでたたくことによって、そこから逃げ出すわけにはいかないのである。われわれはみな彫刻家であり、画家であって、その材料はわれわれ自身の血と肉と骨である。少しでも気高い心があれば、すぐさま顔立ちの上品さとなってあらわれ、野卑で肉欲的なところがあれば、その顔は獣じみてくる・・・・

 

注目の国の「顔」を浮かべてみる・・・米国、北朝鮮

目下、品性が何処にあるのか探している「顔」がある・・・首相、財務相

比べてみたい「顔」もある・・・・佐川さんと前川さん

 

そして、自分の「顔」は?

 

未読・石牟礼道子「苦海浄土」

2月10日 石牟礼道子さん(90歳)が亡くなった。私の誕生日からちょうど5日後、それは何の関係も無いのだけれども、いまだに「苦海浄土」を読まずにいることにはっと気づいている。

昨年12月に朗読会で取り上げた「ハーメルンの笛吹き男」、この作品を調べていたら阿部勤也/著「ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界」に辿りつき、文庫の解説は石牟礼道子さんで、それは書き出しから印象深かった。

・・・ブリューゲルやヒエロニムス・ボッスの世界を、ながい間ながめて思っていたことだった。十五・六世紀ごろ教会の祭壇画として描かれこれらの絵は、なんという世界を表出していることだろう。これほど醒めた目で、寓意と暗喩と呪符をしのばせた世界を丸ごと描いた画家はその後出てこない。ことにボッスの、ほとんど世界の虚無とでも名づけられそうな透視力のあるまなざしは、どのような人間たちの肉声と身悶えに接していたのだろうか。・・・・

 

阿部勤也が調べ上げたハーメルンの笛吹き男にまつわる中世の下層の民の歴史、そして、この解説を読んでいらい、ブリューゲルやボッスの絵は、その面白さだけではなく人間の社会の奥深く刷り込まれた遍歴の傷痕の息遣いが感じられ、中世から今の社会にもその傷痕は別な形で繋がっているのだという実感を抱いている。

 

リンゴ箱製造を見学

五所川原市の手前に位置する板柳町、ここにあるリンゴ箱を作っている会社を見学してきました。この会社のご子息があおもりインテリアコーディネーター倶楽部の会員であることから、とても丁寧に見学させていただきました。

リンゴ箱倉庫 リンゴの競りはいまだにこのリンゴ箱で行われていて、ふじが収穫されるまえのこの時期にはもっともっと出来上がっていなければならないそうで、飽くまでも手作業で4人の熟練の職人さんがリズムカルに玄能を使いこなしリンゴ箱を急ピッチで作っていました。↓ 高く積みあがったリンゴ箱、時々微妙なズレを直しているので、地震でも崩れたことがないそうです。

倉庫の前にあるリンゴ畑もこの会社の所有地で、いまが収穫時の「つがる」というリンゴが美味しそうに箱の中に納まっていました。

そして、案内してくれたのが倉庫真裏にある線路(五能線)とリンゴ畑、ただそれだけの何とも美しい風景・・・なぜかほっとします!

板柳駅前にあるインテリアショップ「mono HAUS」↓ここも運営していて、見学のつもりが、私も含めみんな買い物モードに入って仕舞いました。

8月15日の朗読会 二人の作家のある偶然

昨年からはじまった8月15日の朗読会 お盆で忙しい時期にもかかわらず、昨年以上に多くの方が参加してくれました。今年は、6月の朗読会から少し趣向を考えて作品・作家の解説、空間の演出を少し加えていますが、大竹さんの熱演と相まって好評で、8月も期待していらして下さった方、さらにご友人を誘っていらして下さった方も増えてきました。

 

朗読した作品の作家 中 勘助(1885年生まれ)と山川方夫(1930年生まれ) 中勘助は、くも膜下出血、山川方夫は、トラックに跳ねられ 80歳と35歳の違いはありますが、どちらも同じ1965年(昭和40年)に没。たまたま取り上げた作家でしたが二人とも東京オリンピックの翌年に急死、戦争について考えさせる文学を残した二人は、あの東京オリンピックをどんな想いで見ていたのでしょうか・・・。

 

久米宏氏が日刊ゲンダイに発言したことが物議をかもしていることを知りました。3年後に開催される東京オリンピックについて激烈な五輪批判を展開しています。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/210304/1 一億総オリンピック病に蝕まれている。オリンピックはゼネコンのお祭り、国民が青ざめるのは、祭りの後。豊田商事の証券を持っている状態・・・国家上げてのメダル争いの馬鹿さ加減・・・結局、日本人はスポーツが好きなワケじゃない。オリンピックが好きなだけなんですよ。ノーベル賞も同じ。科学とか文学とか平和が好きなんじゃない。あくまでノーベル賞が好きなんです。

さらにオリンピックのムードがナショナリズムを高め、戦争へ向かう世論へと繋がる怖さを粛正覚悟で発しています・・・・。

 

浪費をつくり出す人々

1960年頃、米国の社会学者ウ"ァンス・パッカードの著書「浪費をつくり出す人々」が日本で話題になった。その影響は、電通の戦略十則にもあらわれている・・・・という事を最近知った。

電通のあの鬼十則のほかに、戦略十則が登場するのが1970年頃、まさに日本人が大量消費に突き進んでいた頃と重なる。

1、もっと使わせろ

2、捨てさせろ

3、無駄使いさせろ

4、季節を忘れさせろ

5、贈り物をさせろ

6、組み合わせ買わせろ

7、きっかけを投じろ

8、流行遅れにさせろ

9、気安く買わせろ

10、混乱をつくり出せ

この十則を読んで、かつての自分自身がこの戦略にのってモノを買っていたのかもしれないと、想えてきた。しかし、それは裏を返すと、実は自分の頭で考えていなかったということでもある。

いまは、人の暮らしにずっと寄り添えるもの、持続可能なもの、季節を忘れず敏感になる、贈り物はモノでなくてもよい、ものを生かして組み合わせる、自分で考えたものをきっかけにする、流行よりもタイムレスなもの、賢く買う、静かな頭で考える・・・と、こんな風に過ごせたら良いのに、いまやインターネットが人の心を刺激し、いっそう心穏やかに過ごせなくなっている。自分の頭で考えるということは、これからますます難しくなっていくのかもしれない。いまだに日本人は浪費をつくり出す人々のままなのか・・・。

八戸ブックセンターで読書会

八戸に「本好き」を増やし、八戸を「本のまち」にするための、あたらしい「本のある暮らしの拠点」として八戸市が開設した八戸ブックセンター(読むことも購入することも出来るし、喫茶も出来る)、ここであおもりインテリアコーディネーター倶楽部読書会があって、参加者がそれぞれ持参した本を紹介し合った。それぞれがそれぞれに相応しい趣の本を熱く語って面白かった。12月に八戸市で開催する倶楽部20周年記念イベントのテーマが「小さく暮らすを考える」、このテーマで会員それぞれが選んだ本を持ち寄ったもので、まずはイベントに向けた地ならし。

このブックセンターは、想っていたよりも本は少なかったけれど、セレクトされた本はどれも興味深いもので量よりも質に重きを置いたコンセプトに共感。売れる本ではなく、読むべき本が揃っている。石牟礼道子の「苦海浄土」や以前このブログでも取り上げたニコラス・G・カー「ネットバカ」も入店してすぐ目にはいる棚にあった。

読書会で会員のK氏が紹介したソローの「森の生活」、実は以前から読もうと想っていた本で、帰ってから早速手に入れていた。

 

 

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