今年の誕生日は、、、

毎年バラちらしで誕生日を迎えていましたが、今年は握り鮨といつものだし巻き玉子、そして野菜は菜の花の酢味噌かけとブロッコリーという献立。大工の棟梁に以前作ってもらったヒバのまな板に鮨を盛り付け演出。布製ランチョンマットは抑えた赤が気に入って思わず無印良品で求めたもの。今回は2枚に折って小さく使いました。

 

これからの人生の第4コーナーを「どう生きるか」そして、日々「どう過ごすか」を意識して暮らしたい。正月早々にある作家(66歳)の訃報が届き、ショックを受けている。15年以上前に画廊の人の紹介で初めて京橋のギャラリーで竹を使った独特の個性の作品を観たとき、夫も私も物凄く惹きつけられたのを憶えている。かつて夫の個展にも何度か足を運んで下さった。年賀状にはいつも力の籠った短いメッセージが添えられ、まだお目にかかっていない私は、いつか必ずお会いしたいと想っていた。でももう、いつかは永遠にやってこない・・・。 日々どう過ごすか、、、時には自分を瞬発させなければ、、、。

 

「名もなき家事」について

「名もなき家事」という言葉を聞いたのは2年位前だろうか、、、洗剤やトイレットペーパーが少なくなったら買い足したり、トイレのタオルを取り替えたり、乾いた洗濯物をたたんで仕舞ったり、出しぱなしのその辺のものや新聞・チラシを仕舞ったり、誰かがそんな家事とも云えない家事をしてることで日々の暮らが支えられている。そういうものに「名もなき家事」という存在感を与え、多くの共働きの女性の共感を得た。掃除、洗濯、調理だけが家事なのではないということを気づかせた。

20代から40代の共働き夫婦の家事参加率の割合に関する調査(ハウスメーカー実施)によると、妻の認識で「夫1割:妻9割」、夫の認識で「妻7割:夫3割」との回答が多かったという。この結果から、妻が思っているよりも「自分はやっている」と思っている夫が多いというのがわかった。

実家に住んでの独身が長かったせいで、夫の側の認識にも共感してしまうところもありつつ、結婚してこの「名もなき家事」の存在に気づかされた。実家にいると洗剤もトイレットペーパーも常にあったし、洗濯物は母がちゃんとたたんで置いてくれた、勿論、献立を考える事も冷蔵庫の中身を気にすることもない生活だった。そんな人間でも変わることが出来るのだと自分で経験して、そう思う。

いまや冷蔵庫の中の賞味期限も自然に頭に入って暮らしている。青じそは瓶に少し水を入れて保存すると驚くほど長持ちする事も知ったし、最近、生姜はすっぽり水にひたしておくとこれもまた長く保存できると知って、悦に入っている。そして冷蔵庫に納まった姿が可愛い。「名もなき家事」があればこそ、時にはこんな「名もなき充足感」も味わえることがあるような気がする。「ありがとう」と夫はよく云ってくれる。このシンプルな言葉もきっと「名もなき充足感」に入るような気がする。家事負担何割云々よりも、互いの存在がこころの拠り所となっているかで感じる度合いが違うかもしれない。肝心なのは、思いやりであり気遣いなんだと想う。

 

捨てられないレシピ

もうこれらのレシピで料理を作ることもないと想いながら、捨てられずに持ち続けているレシピファイル。30年以上前、8年間料理教室に通っていた。日本料理は教室主催の先生、西洋料理はホテルのシェフ、中華料理は当時市内で人気の中華料理店のオーナーシェフで専門的な料理を学んでいた。当時はグルメブームで教室が終わってからもよく先生と生徒でいろんな店に食べにも行っていた。あの頃は青森市内でも気の利いた店がいろいろあって面白かった。こんなご時世になるなんて想ってもいなかった。

西洋料理のレシピを開くと、”フィレ・ド・ブーフ・プティ・レギューム” 牛ヒレのソテーに生クリームやドミグラスソースで煮詰めたソースをかけるというもので、よくもまあ家庭料理とかけ離れたものを作っていたものです。それでも、何だかこうして眺めていたら、ホタテ貝とグレープフルーツを使ったあっさりした前菜があって、久しぶりに今度作ってみようかというモードになっていて、ずっとこの間から卓上に置いたままになっている。まだまだやはりどうも捨てられない・・・・。

今年のお正月は・・・

今年のお正月はいつもと趣が違います。8ヶ月の乳幼児を連れた友人夫婦が訪れてくれました。乳幼児は新幹線も雪も初体験ですが、車中の様々な状況を想定し準備していた彼らにとって、意外にもほとんど眠っていてくれたようだし、青森の街に出かけたら、前向き抱っこで雪が顔に当たるのも気にせず、ほっぺを赤くしながらたいへんご機嫌な様子です。育児が大変なのは言うまでもないことですが、赤ちゃんの”匂い”、”柔らかい肌”は人間のこころをホッとさせるなんとも言えないチカラがあるのだと改めて実感しました。

食事中も抱っこ紐のなかでぐっすり眠っていたお陰で、わが家の十八番「バラちらし」を囲んですっかり遅くまで語り合っていました。こういう日々のささやかなものにひとつひとつ支えられて私たちは暮らしているのだと、つくづく想わされたお正月でした・・・。

キムチ入りカレーと青いグラス

ここ数日、食欲があまり無い。理由は分からない。食欲が無いと日々の献立も不調になってしまう。何を作ってもパっとせず、悪循環に陥っている。で、今夜は食欲が出るように、細かく刻んだキムチをバターで炒め、キムチカレーを作ってみた。これが上手く行った! キムチの発酵の出汁が効いている。それに、キムチと云わなければ分からないくらい。刻んだキムチをトッピングして食べ出したら、食欲が出て来た感じがする。

 

水を入れた青いグラスは昭和の初めの古いもの。これは20年前にある方から進呈されたもので、その方が夏に84歳で逝去されていた。ご自宅にある李朝の箪笥や美しいアイヌの首飾り、現代アートにも見えるモダンな朝鮮の木雁、味わい深い民藝の器や書画など様々なコレクションを通して骨董を鑑る奥深さに影響を受け、刺激を与えられた貴重な存在だった。今夜はこの青いグラスを使って偲んでいる。

キイジョウロウホトトギスと花入れ

ペーパームーンで活けた花

黄色い花は「キイジョウロウホトトギス」。ペーパームーンのお客様が自宅の庭から草花を摘んで持って来て下さり、その中に頭をもたげるような黄色いユリのような花、これはきっと貴重な花なのでは、と、調べてみたらやはりそうでした。茶花で重宝されるホトトギスの一種で、古くから観賞評価が高く、奇品であるともいわれ、野生のものは絶滅危惧種に入っていました。花器にしているのは水差しで、30年くらい前に手に入れたもの。一度だけお茶で使ったことがあるのですが、なかなか使いこなせなかった道具。こうして花器として活かせて、この道具も悦んでいるはずです。処分しなくて良かった・・・。

 

土鍋で栗ご飯!

我が家の裏の林にたわわに実った栗、毎朝2階の窓を開けるたびに栗の木を観察、あっ、実が無い!そそくさと家の外に出て栗が落ちていそうな辺りを眺め、口が開いた殻はあるものの、だいたいが空っぽ。それでも一つ二つとあちこっちにつるんとした可愛い栗が落ち葉の上や隙間にコロンとあってたちまち獲物を探すモード、隣家の姉の家にも2ケ発見!しめしめ、、、、これで18ヶ。

昨夜は集めた栗の皮をむいて砂糖を少しまぶし即冷凍。こうした方がより美味しいらしい。

朝から仕込んでいた昆布水で栗ご飯を炊き、今夜はご飯がメインディッシュ。もち米を6分の1にし、調味料は少しの塩とお酒のみ。野鳥の餌のおこぼれを頂戴した栗ご飯、土鍋で炊いただけなのに何だかご馳走に見える。「ご馳走」って、こういうものなのかなぁ・・・・。

 

 

 

 

 

手作りのケーキを持参して・・・

10年位前にインテリアリフォームをさせて頂いた高齢のお客様、ご主人と二人暮らしでしたが2年前にご主人が亡くなり、リフォームしたお宅を手放し、お一人(80代)で暮らせる小さなマンションに引っ越しをしました。以前お住いのお宅の近くでも売家があって、何年も買い手が付かず、自分の家も呑気に構えていたら、すぐに買い手がついてしまい、一年近く待ってもらい、新たなマンション探しやものの整理や処分で、ほんとうに大変だったらしい。マンションに一度伺ったとき、アップルクランブルを持参したらとても喜んで下さったので、調子にのって今回もまた手作りのお菓子を持参した。ガトーインビジブルというフランスのお菓子で、材料も作り方もシンプルで久しぶりに作ったら小麦粉を入れるのをすっかり忘れて焼きプリンのような触感になってしまい、再度作り直しちょっとだけラッピングもしてご覧のとおり。

卵、牛乳、砂糖、薄力粉、溶かしバターを混ぜたルーに極薄くスライスした林檎2ケ分を入れ型に流すだけの超簡単レシピ。カットするとスライスした林檎がミルフィーユのように何層にもなって見栄えはなかなか、リンゴの酸味と相まってあっさりしたケーキ。今回はレーズンやシリアルを上にのせて焼きました。

お客様も手作りの抹茶ゼリーでもてなして下さり、現在の暮らしについていろいろ話を伺う。息子の家族と同居せず、施設にも入らず自由に暮らすことを選択している。この先、どうなるか不安もあるが、これまでの様々なものから解放されて自由でいられる生活を楽しんでいる。髪を染めるのをやめたら美容院の時間がすっかり短くなり、いろいろな意味で楽になった様子。朱色の髪留めがグレーの髪に合って素敵だった。こんな風に沢山おしゃべりをした日は、ぐっすり眠れるの、と、嬉しそうに話されていた。次回はランチを一緒にと、約束をして帰る。ふっと、自分の20年後を考えていた・・・。

 

 

 

栗が実って来ました!

2階の窓から日々眺めている栗の木、随分大きな実がなっている。昨年は、野鳥たちが食べ残して落ちた栗を拾って、土鍋で栗ご飯を炊いた。20個くらい拾えたので我が家にはちょうど良い量で、自然に生ったこの栗の味は、なかなか滋味深く、思いがけなく秋の至福の食卓となった。今年もあの味が忘れられなくて、また作ろうと目論んでいる。それにしても、自分の家のすぐそばにあるもので食を賄うという事がこんなに心嬉しいものだったのか・・・。春にやはり家の敷地に生えていた蕗のとう、すっかり大きくなっていて、もう食べられないとあきらめていたら、その茎こそが美味しいのだと知人に聞いて茎味噌にしたらこれもまた美味しく、むしろ蕾より茎の方に分があることが判った。この時も何とも云えない嬉しさだった。

 食べるという営みの何か大事なものがこういう行為に隠れているのかもしれない。

未明の震度3、ただならぬ揺れ

あぁ、、、地震だ、と、感じながらベッドにいた。それが次第に強くなりそうで、どれくらいの時間だろう、、、納まるどころかずーっと揺れていて、何か不気味な気配の揺れだった。これはきっと何処かで大きな地震が起きていると感じさせるものだった。わが家の辺りは地盤が堅いせいで震度3でもその揺れによっては震度2か1くらいにしか感じないときもあるくらいで、今回の震度3の揺れはこれまでと何処か違っていた。

 

いったい、日本はどうなってしまうのだろう・・・・高齢化、少子化、介護、年金、消費税、日銀、原発、そして不信だらけの政権、どれを取り上げてもそのシステムに不安を抱きながら暮らしている。それに追い打ちをかけるようにこれでもかこれでもかと自然はますます荒っぽくなっている。こんな状況の行きつく先は・・・せめて国民が信頼を寄せられる国に暮らしたい! 

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