自分の生き方を選ぶこと・・・?

大人のシックはパリにある Madam Chic Paris Snap  (主婦の友社)

3年前に買っていたこの本は58歳〜78歳のおしゃれマダム23人の装いや暮らしを紹介する写真集。この中に登場する一人の女性は「お金をかけられない時こそ、とびきり質のいいものを一つだけ買う」と語り、年齢を重ねても独自の美意識を貫く女性たちは何処か潔さがある。この写真集の興味深いのは、それぞれの女性たちの住まいも紹介しているところ。

何だか惹かれた室内がこれ↓ この本の表紙の女性(71歳)の家。

「着るものを選ぶということは自分の生き方を選ぶこと」ココ・シャネルの言葉が本の帯に書かれています。

まぁ・・そこまで大げさではないにしろ、その人自身を表すひとつではあるのでは・・・。

 

ソロー「森の生活」そして映画

厳寒の冬の日々には持ってこいの読書となったヘンリー・デービッド・ソロー著「森の生活」。読みだした昨年の夏には、どうも読み進めず冬に改めてゆっくり読もうと決めていた。連日氷点下の閉じ籠った生活は、寧ろじっくり味わって読み込むことが出来て、なかなか充実した時間だった。後半の冬の頁「冬の動物」「冬の湖」ではまさにソローと同じ体験をしている感覚だったし、読了した2月末、それは「春」という頁で完。まさにグッドタイミング。

150年ほど前に書かれたこの本はソローが自ら建てた簡素な小さな家(3m×4.6m)で自給自足をし、その実験的生活の2年2か月を通して思索した日々が綴られている。

人生について書かれた行・・・ここに人生という、私がまだほとんど手をつけたことのない実験がある。だが、以前にだれかが手をつけたからといって、こちらの役に立つわけではないのだ。もし自分でも価値があると思われる経験にぶつかるとすれば、それは私の指導者たちが一度も教えてくれなかったものであることに、きっと思い至るだろう・・・・

 

私が惹かれたソローの言葉・・・私の家には三つの椅子があった。ひとつは孤独のため、もう一つは友情のため、三つめは交際のため・・・孤独であるという事と友情と交際が並んであるということ、じーんとくるものがある。

 

最近、アンドレイ・タルコフスキー(1932〜86年)というソ連の監督の映画「ストーカー」(1979年)を観て、丁度読んでいたせいか、ソローの影響を強く感じさせた。調べたらやはりそうだった。この映画も時間の流れに抑揚がないまま観客を自然描写を通して深い精神性の世界へぐいぐいひっぱっていく、そして、最後の最後に強い余韻を与える。(タルコフスキーは「映像の詩人」と云われている)

 

 

 

8月15日の朗読会

今年も8月15日㈫ 戦争について考えるをテーマに文学作品を取り上げる朗読会が開催されます。

会 場  :ペーパームーン http://pmcafe.weebly.com/

時 間  :19:00〜(開場は18:30) 

会 費  :500円(ドリンク料)予約制で定員になり次第締め切り 

申し込み :ペーパームーン 090-6855-7345

朗読は、元RABアナウンサー大竹辰也さん

 

朗読に合わせ、音楽や空間の構成を協力していて、昨夜の打ち合わせで音楽も決定。

第一部 「銀の匙」中 勘助 

近年、岩波文庫で読者が選ぶ「私の好きな文庫」で夏目漱石の「こころ」「坊ちゃん」に次いで3位に選ばれた「銀の匙」、著者自身の幼かった頃の回想を綴った滋味あふれる作品、後編に綴られた戦争(日清戦争)一色の風潮の中で、好戦的な先生や生徒に疑問を抱くシーンを取り上げます。

第2部 「夏の葬列」山川方夫

中学の国語の教科書にも取り上げられている作品、戦争の悲惨さを静かに訴える純文学、そして、最後のどんでん返しはまさにミステリー、様々な存在感を放つ短編の名作

 

 

人間の尊厳について

・田中奈保美/著 枯れるように死にたい「老衰死」ができないわけ 新潮文庫

著者本人から贈呈されたのがきっかけでこの本に出会い、今の高齢者医療・介護のあり方について漠然と持っていた疑問、不安、不信がだいぶはっきりと視えた気がしている。

「老人医療の基本は、本人が自力で食事を嚥下できなくなったら医師の仕事はその時点で終わり、あとは牧師の仕事です」 

このフランスの医師のことばは印象的だった。人が天にめされるということ、それを医師がじゃまをしてはいけない。

老人が尊厳を持って死んでいくことがいかにいまの医療現場、介護現場で難しいことであるかを著者自身の経験からレポートし、考察し、高齢者の看取りについて、読者へ改めて考えさせるきっかけを与えてくれる。2010年8月に新潮社より刊行され、2014年に文庫化。この本が書かれてから7年が経過してる。高齢者の看取り、人間の終末観はどこまで深化しているのだろう。

 

・V.E.フランクル/著 夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録 みすず書房

人間の尊厳について深く考えさせられた。ずっと読まなければと思っていた。老人医療について先の文庫を読んだ後に、ふっと読んでいた。最終章「深き淵より」のこんな行がある。

 

われわれはこの地球上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。そして二つの「種族」は一般的に拡がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。専ら前者だけ、あるいは専ら後者だけからなるグループというのは存しないのである。この意味で如何なるグループも「純血」ではない・・・だから看視兵の中には若干の善意の人間もいたのである。中略 あらゆる人間存在を通じ善と悪とを分かつ亀裂は人間の最も深いところまで達し、収容所が示すこの深淵の中にも見ることができたのである。

 

解放された後の人間の著しい離人症、自由が本当の現実かどうかを疑うひと。何時間も何日も夜遅くまで食べるひと。そして、何時間も語り始める、語らざるおえないとどめることができない衝動。そして、ふたたび人間になってゆく。

 

深く考えさせられた2冊の読書だった。

 

 

図書館で借りた本

県立図書館ではじめて本を借りました。で、いま読んでいるのが「完本 短編集 モザイク  三浦哲郎」。三浦哲郎は1931年八戸市生まれ2010年8月29日没。以前ブログでも三浦の人生について触れたことがありますが、10月15日(土)19:00〜 ペーパームーンギャラリーで開催される朗読会(朗読・大竹辰也氏)で森鴎外・著「高瀬舟」と三浦哲郎・著「ほととぎす」を取り上げることになり、図書館で「ほととぎす」を読んでこようと想ったのです。てっきり、県人コーナーのようなものがあってすぐに見つかるかと思いきや、そういうコーナーはあるにもかかわらず、太宰のものだって少しだし、まして三浦のものは、まったく見当たらない。受付でたずねてみると、書庫に保管してあるというので、出してくれたのがこの本でした。この短編集に「ほととぎす」が入っていたので、そのまま図書館で読んで、受付に返す段になって、ふっと、借りることにしたのです。

 

三浦が亡くなった2010年に刊行されたもので、全六十二編の短編集。著者あとがきによると、長大な作品よりも隅々にまで目配りのできる短いものの方が自分の性に合っていると述べています。どの短編も小説というよりもエッセイのような雰囲気で、すーっとものがたりの中へ入り、気が付けばすーっと、ものがたりが終わっている。そんな感じがする。この読後感は、どこか向田邦子の読後感にも似ているような・・・・。

「すみか」というものがたりでは、川の拡幅工事でもうすぐ毀すことになっている住まいについて、父親が話すこんな行があります・・・もうすぐ毀すと思うと、つい、手入れがおろそかになる。庭木の枝は伸び放題だし、塀もあちこち崩れかけている。雨樋の錠びや漆喰の汚れに気がついても、もうすこしの我慢だと思って、目をそらす。家って住んでる者の気持ちがうわの空になると、途端にどんどん窶(やつ)れるな・・・・こんな風に住まいについても言葉と同じように丁寧に見つめている著者自身を感じる。そして、暮らしそのものに見え隠れする切れ端のようなものをすくいとる。この作品は、座敷わらしの不吉ないい伝えを主人公の父親が思い出したとき、とたんに読者は不気味なこころもちになっていく・・・。

「じねんじょ」「ゆび」「みのむし」など惹かれた作品・・・朗読会というきっかけがなければ、たぶんこうして三浦哲郎の短編集に出会う事はなかったでしょう。生前、三浦は100篇の短編を書くという試みを抱いていたようですが、書き上げた六十二編が入った「完本 短編集 モザイク  三浦哲郎」、図書館の書庫に仕舞っておくには、随分もったいない・・・・。

 

 

食談、食べる話の本

食本
ここのところ、食にまつわ読書が続いている。
まずは、「ロッパ食談」(河出文庫)。著者は、昭和のはじめエノケンと並び活躍したコメデイアン古川ロッパ(緑波)。この本を先月上京する新幹線の中で読んで行った。戦後の街を颯爽と食べ歩き、その食談が何とも痛快。ただし、あくまでも知的で品があり、「糖尿病に栄光あれ」と叫びながら食べ続けても、その食べ方はきっと美しかったと想ってしまう。面白くて青森に帰ってから、また寝る前に読み返していた。例えばこんな行、この頃盛んになったものに、お好み焼きがあります。大阪が一番盛んなようです。ソースと葱とウドン粉のかもし出す詩です。大人と子供のケジメがつかなくなる食物です・・・・ケジメという言葉が効いている。

若い頃に編集者をしていたロッパは読書量もかなりのものだったようで、読んだ本に出てくる食にまつわる部分を紹介した食書ノート、私にもロッパの感心が移っていた・・・
菓子が殿(しんがり)をつとめないディナーは、いくら美酒佳肴があっても、花の咲かない園か片目の美人だ
 「わが家のメニュー」滝沢敬一
英国の料理がまずいと言われるのは、一番上等な付き合いが料理屋でなくて、家庭で行われるからである
 「酒に飲まれた顔」吉田健一
日本には、わさびがあるから、日本人は刺身の美しい味を知ったのだ
 「ふるさと随想」森田たま による北大路魯山人の説として

そして、いま読んでいるのが、「もの食う話」文藝春秋編。
”食にまつわる不安と喜び、恐怖と快楽をあますところなく描いた傑作の数々をご用意しました”と「厨房から」というタイトルではじめに書かれています。大岡昇平、内田百痢⊇貸稽局А武田泰淳、武田百合子、岡本かの子、色川武大、筒井康隆、向田邦子、森茉莉・・・まだまだ書ききれないのですが、編集者のセレクト(献立)でフルコースの作品構成になっている。
前菜に用意された渋澤龍彦の「グリモの午餐会」は私の中で秀逸

自分でも読んだ本をこんな風に編んでみたい気になる。それにはまだまだ読書が足りない!

 

トーマス・マン 「魔の山」読了

トーマス・マン
いつか冬の間に読もうと決めていながら、やはりその長さに尻込みしていた。で、やっとこの冬、トーマス・マン「魔の山」上・下を読了。時間はかかったけれど思いのほか読みやすかった。物語そのものよりも、むしろ主人公が語る行間のことばにこころが揺さぶられ、ページをめくるのが惜しいくらいの場面が何度もあったし、いかにも美味しそうな豪華な食事やアルコール、お茶の時間の贅沢なお菓子が出てくるとそのシーンが目に浮かぶようで、何ともほっとするひとときになった。偉そうな感想は書けないけれど、私でも読めたということは、この本は読者次第でいろんなテーマで味わえる要素をもっているのだと想う。
「魔の山」はトーマス・マンが11年を費やして完成させている。(この間に第一次大戦が勃発している)
舞台は第一次大戦前、ハンブルグ生まれの青年ハンス・カストルプがスイス高原ダウ"ォス(ダウ"ォス会議が開催されている地)にあるサナトリウムに従弟のヨーアヒム・ツィムセンを見舞い、自身も1週間そこで休暇を過ごすというところからはじまる。しかし彼にも結核の兆候が表れ、滞在者という立場から、次第に療養者としての立場になっていく。この小説はいわばハンス・カストルプが国際結核療養所ベルクホークで療養生活を送る7年間のこころの軌跡。それは日常生活から隔離され病気と死に支配された療養生活の姿であり、その中で知り合う院長のベーレンス、精神分析医ドクトル・クロコフスキーをはじめ様々な国からきた療養患者たちへの観察眼であり、人間と人生、その時間の在り方を考えさせる。そういう中でもロシア婦人ショーシャに愛が芽生える。さらに理性と道徳に絶対の信頼を置く民主主義者セテムブリーニ、独裁によって神の国をうち樹てようとする虚無主義者ナフタたちとの出会いで、思想、哲学、宗教、政治が論じられる。(この辺は難しかった)そうして次第に自己を形成してゆく過程が描かれていく。

こんな風に書くと何だか硬そうですが、食事のシーンが語られる場面では、実に美味しそうなメニューが並び、読書はここでしばし一息という風に、ちゃんとトーマス・マンは読者のこころにも配慮しています。
主人公がベルクホークで夕食をはじめて体験するシーン、こんな行・・・食事は素晴らしかった。アスパラガスのスープ、詰め物をしたトマト、いろいろな添えもののついた焼肉、特別上等にこしらえたプディング、チーズ、くだものなどがでた。ハンス・カストルプは大いに食べた。・・・・どうです、目にも鮮やかなフルコース、本当に美味しそうなのです。朝食は2回、昼食、ティータイム、夕食、夜食とつづき、寝る前には寝室に濃厚なミルクが準備される。この部分だけメニューを抜き書きしてみたくなります。(邪道でしょうか・・・)

多くの印象的だったことばの中から少し・・・
旅に出て2日もすると人間、日常生活、すなわち義務とか利害とか心配とか見込みとか自分がそういう名前で呼んでいたいっさいのものから遠ざかってしまう。時間と同じように空間も忘れさせる力を持っている。

崩したお金はもう使われてしまったも同然であるように、月が始まれば、その月が過ぎ去ったも同然だったのである。

終わり(死)を思わせるものは何ひとつ眼に触れさせないように気を配ることが、結局は空しいことだと悟る。
 

貧乏の力

考える人
季刊誌2006年冬号 「考える人」−特集1962年に帰るー(新潮社)
新国立競技場白紙撤回に続き、五輪エンブレムも不可解のまま白紙となり、こうなるのが五輪のおはこになって、そもそも五輪開催がいまの日本で?という方向に向かうことはないでしょうか・・・・。9年前の古い雑誌「考える人」を引っ張り出し、東京オリンピックが開催される2年前に焦点をあわせた特集号を改めて読んでいます。
いまと比べて、熱い厚い人間が実にたくさんいたんだとつくづく想います。ただ、64年を過ぎてから何かが変わり出していく。
佐野洋子(1938〜2010)が1962年について語っています・・・・「60年代はまだ直接ものにさわれる事が現実だった。手で写植切ったりはったり、自動車の模型手で作っていたし図面も手で描いていたと思う。いま見えない事が現実で、気味悪い。」「やっぱり豊かさがもたらすものがすべてを薄くしてるのね。貧乏って濃いのよ。それに、貧乏って面白かった。」
作家となって佐野洋子は決して貧乏では無かったと思いますが、言わんとするところに説得力を感じます。そして、最後にこう結んでいます。「だけどね、戻ることないですから、時代は運命ですから。」

これから私たちにはどんな時代の運命が待ち受けているのでしょうか・・・・。

山本夏彦といま

夏彦
50年続いた雑誌「室内」が2006年に休刊となって最終号はずっと本棚に留まったままでしたが、最近この雑誌の創刊者で編集者だった山本夏彦の文庫「日常茶飯事」(平成15年発行)をBOOKOFFで見つけ読み出したら何やら雑誌「室内」も久しぶりに開いてみたくなりました。浅薄になりがちなインテリア雑誌と違って、「室内」は執筆陣も内容も何か他とは違っていました。氏がここに連載していた短文をまとめたものが「日常茶飯事」で私が読んだこの文庫の元本は1962年ですから53年くらい経っていることになります。それなのに、読みながら少しも時間的な違和感を感じないのです。時代に対する作敵本能(本人がこういっているのですが、美名過ぎるなら、甲斐のない反骨であると・・・)が文章に表れていて、例えば・・・今日の権威、すべて大きなもの、えらそうなもの、流行して甚だしいものなら、反抗せずんばやまぬのは、不平士族の単純な反骨である・・・・・私は何でも巨大なもの、えらそうなもの、権威ありげなものなら疑うだけである。大勢が異口同音にいうことなら胡乱(うろん/真実かどうか疑わしいこと)だとみる。・・・・作敵本能全開です。こういう姿勢こそいままさに必要であると感じるのはどうしてでしょうか。

建築家 槇 文彦

槇 文彦
本を整理していたら、15年前の建築雑誌 SD(スペースデザイン) 建築家 槇 文彦の特集号が出てきました。新国立競技場建設見直しの提言をずっとしてきた著名建築家です。この競技場のデザインを選んだ建築家は一般人の多くが知っていると思いますが、槇氏を知らなかった一般人は多いはず。私は28年位前に代官山ヒルサイドテラスをたまたま訪れたことから、この建築家を知るきっかけになりました。あくまでもシンプルで静かで、それでいて何処か人を飽きさせない風景、成熟した知的な雰囲気が漂う街並み、素敵だなあと想ったものです。本の整理を中断し「街並みとしてのヒルサイドテラス」と題したこの本の長い対談のページをつい読んで仕舞いました。氏はもともと集合体に興味を持ち、グラハム基金フェローシップで2年間東南アジア、中近東、アフリカの北部を含むヨーロッパを旅行し、そこで、実際にいろんな地域で目撃した風景がその地域の文化性によって、差異や類似性を生み出していることを発見し、「風景の構築」の背後にある「どういう空間がどのような人々の行動を生み出すか」という問題に関心を抱いていたといっています。また、こんなこともいっています・・・高度の機械はエンジニアが設計した通りに作動しなければ困るわけですが、建築は風呂敷みたいなもので、内部の生活が時と共に変わることを許容する包容力を持っていなければならない・・・・住み手、使い手側のインターベンション(介在)がにじみ出てくることが、環境に奥行を与えてくれると思います・・・・建築家にとってスタディの一番強力な武器は模型、模型によって道路幅と建物の高さの関係を判断していく、建物の表層をどのようにつくるかによって最終的に現れる場所のクオリティは千変万化します・・・この対談を読んでいるうちに氏がどうして歴史ある神宮外苑に巨大な新国立競技場建設見直しの提言をしてきたのかが分かるような気がしてきました。(白紙にされた例のコンペでは模型提出もなかった)
この本で掲載されていた槇 文彦の建築作品でとても惹かれたのが大分にある「風の丘葬祭場」(1997)
http://allxa.web.fc2.com/a-map/jp_oita/kaze/kaze01.html
結局、読んでいるうちに本の整理がすっかり頭から飛んでいました・・・・。
 
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