高齢者と警察犬とプラチナのルーペ!

午前中、何やら家の前が騒がしいと・・・外に出てみたら、ご近所の家の前に見慣れない車が3台、更にわが家の近くにパトカーが止まっていて、警察官がお向かいの家の前で聞き込みをしている。何かあったのか? 更に私服の警察関係者と思われる5人の人物が車が止まっている家の前に集まっていて、その中の一人は警察犬を連れ、人探しをしている様子・・・きっとわが家にも聞き込みにくるのかしら、と、身構えていた。 しばらくして事情が少し解った。どうもご近所の高齢の女性が徘徊により行方不明となり、隣近所の家の周りや物置など警察犬を使って捜索していたらしい。わが家に聞き込みに来る前にすでに無事見つかったようだった。

そのお宅に高齢者がいるというのも、そもそも家族構成すら認識していないといういまどきのこういう環境は、何かが抜け落ちているような遣り切れない想いになる。

 

この日,午後から出かけた美容院で杖をついた高齢の婦人のきゃしゃな佇まいが鏡越しに目に入った。慣れた様子で椅子に腰かけ、パーマをかけてもらいながらいろいろ話している。この婦人は94歳で約50年前この美容院が開業した当時からのお客様だという。首に掛けたプラチナのルーペ(これは使うときにそう話したのが聞こえた)を使って雑誌も眺めている。ふっと、こういう光景も、そして午前中の徘徊騒ぎも、これからはいずれも見慣れたものになっていくのだろうか・・・・と、複雑な気持ちが入り混じる。

 

 

 

不動の怒り

一昨日の国会での証人喚問をラジオで聴いていて、何処からか何か手の付けられない「正しさ」が公然と牙城のように存在し、それは無人格で無人称な権力の集団を炙り出しているように感じた。そして、不動の怒りが沸いていた。

 

以前新聞で読んだ言葉を思い出している。人間は万事に関心を払うことはできないし、払うべきでもない。だが、何に無関心かによって社会の質が決まる 

いま社会の質、国の質が問われている。この不動の怒りを確かな物差しにして、関心を寄せ続けている。

 

 

 

地球市民賞 

活動に参加しているNPO「NAGOMI VISIT」が国際交流基金より地球市民賞を受賞しました。日本の一般家庭が訪日外国人旅行者を自宅に招き、家庭料理でもてなすというこの活動は、2011年からはじまりました。私は2015年からホストとして登録し、これまでにオーストラリア、スエーデン、アメリカ、マレーシア、カナダからゲストを迎入れています。「同じ釜の飯を食い」ながら、互いの国の食べ物やライフスタイル、労働環境、社会環境、政治、旅に対する考え方など、それぞれが直に理解を深める機会となっています。更に、その後もメールでの交流が続き、出会ったゲストを通してその国がとても身近な存在になっていることに気づいています。

 

受賞理由を少し紹介します。

この活動の面白いところは、これならやってみようという一歩を踏み出しやすい、とても気軽に国際交流ができる点です。ゲスト側は全世界から、ホスト側は日本全国で、という地域的広がりがある点も際立った特徴です。人的にも財政的にも最小限の体制でなされていますが、寄付金や補助金に頼らず、持続可能性が高く、ウェブを活用した国際交流活動として先進的な取り組みであると評価できます。 

「顔」について

最近知った言葉、「顔」はロシア語でリツォーといって、この単語から「人格」を意味するリ−チナスチという言葉が生まれた。

 

先のブログで紹介したソローは「顔」について次のように語っている・・・あらゆる人間は、自分が崇拝する神に捧げた肉体という神殿を、純粋に自己流の様式で建てる建築師であり、かわりに大理石をハンマーでたたくことによって、そこから逃げ出すわけにはいかないのである。われわれはみな彫刻家であり、画家であって、その材料はわれわれ自身の血と肉と骨である。少しでも気高い心があれば、すぐさま顔立ちの上品さとなってあらわれ、野卑で肉欲的なところがあれば、その顔は獣じみてくる・・・・

 

注目の国の「顔」を浮かべてみる・・・米国、北朝鮮

目下、品性が何処にあるのか探している「顔」がある・・・首相、財務相

比べてみたい「顔」もある・・・・佐川さんと前川さん

 

そして、自分の「顔」は?

 

ソロー「森の生活」そして映画

厳寒の冬の日々には持ってこいの読書となったヘンリー・デービッド・ソロー著「森の生活」。読みだした昨年の夏には、どうも読み進めず冬に改めてゆっくり読もうと決めていた。連日氷点下の閉じ籠った生活は、寧ろじっくり味わって読み込むことが出来て、なかなか充実した時間だった。後半の冬の頁「冬の動物」「冬の湖」ではまさにソローと同じ体験をしている感覚だったし、読了した2月末、それは「春」という頁で完。まさにグッドタイミング。

150年ほど前に書かれたこの本はソローが自ら建てた簡素な小さな家(3m×4.6m)で自給自足をし、その実験的生活の2年2か月を通して思索した日々が綴られている。

人生について書かれた行・・・ここに人生という、私がまだほとんど手をつけたことのない実験がある。だが、以前にだれかが手をつけたからといって、こちらの役に立つわけではないのだ。もし自分でも価値があると思われる経験にぶつかるとすれば、それは私の指導者たちが一度も教えてくれなかったものであることに、きっと思い至るだろう・・・・

 

私が惹かれたソローの言葉・・・私の家には三つの椅子があった。ひとつは孤独のため、もう一つは友情のため、三つめは交際のため・・・孤独であるという事と友情と交際が並んであるということ、じーんとくるものがある。

 

最近、アンドレイ・タルコフスキー(1932〜86年)というソ連の監督の映画「ストーカー」(1979年)を観て、丁度読んでいたせいか、ソローの影響を強く感じさせた。調べたらやはりそうだった。この映画も時間の流れに抑揚がないまま観客を自然描写を通して深い精神性の世界へぐいぐいひっぱっていく、そして、最後の最後に強い余韻を与える。(タルコフスキーは「映像の詩人」と云われている)

 

 

 

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