雛祭りのインテリア

 お雛様のインテリア

紅白の和紙で形代を作って額に入れ、菱形の紅い和紙を敷いた上に彼岸桜を鶴首の一輪差しに活ける。これだけで少し春の気分が室内に漂って、気分一新!

 

雛祭りは、3月初めの巳の日に川に入って身体の穢れを祓うという古代中国にあった禊(みそぎ)の儀式が日本に伝わったのがはじまりで、日本では自分が川に入るのではなく人形(人の身代わりのことを形代という)に疫病や穢れ、災いを移して海や川に流すという形式になり、流し雛に繋がっていったと云われている。

 

こんな意味を考えていくと、決して華美な雛人形である必要は無いと想えてきます。

 

さらばモスクワ愚連隊 

五木寛之「さらばモスクワ愚連隊」朗読CDを聴いた。新聞で久しぶりに五木寛之のインタビュー記事を読んで、そういえばあの本読んでないなあと、はじめは本を買おうと想っていた。ところが若山弦蔵の朗読CDにしびれたというレビューに目が止まり、無性に聴いて見たくなった。

やぁ〜良かった!!! もう何度も繰り返し聴いている。

権力から遠く離れた人物たち、そして権力の側にいたとしても音楽を愛する人物、どの登場人物も愛しい存在に想わせる。そしてジャズの魂に触れるクライマックス、まるで音楽が聴こえるような錯覚を覚えるジャズセッションのシーン、2時間はあっという間だった。主人公北見と若山弦蔵の声ははじめから一つになっていた・・・。

かつてこの作品は60年代の若者に熱烈に支持された。まさにその若者だった知人夫婦(現在青森市在住)はこの本に影響を受け、主人公北見と同じように、バイカル号でナホトカへ行き、そこからアエロフロートでモスクワまで行っている。この体験談は、スリリングそのもので、旅で知り合った一人は行方不明のままだという。その後、北欧・英国と貧乏旅行をし、シベリア鉄道で帰っている。彼らによると東京で暮らしていたあの頃、周囲の知り合いはみんなこの本を読んでいて、中には物語に登場するジャズBAR「赤い鳥」を捜しに行った人もいた。実際には「青い鳥」だったというエピソードもあるくらい当時の若者の熱狂ぶりがわかる。熱き心は、今もかれらの記憶のなかで生き続けているのだろうか・・・?

(因みに若山弦蔵の両親は青森県下北郡佐井村出身)

今年の誕生日は、、、

毎年バラちらしで誕生日を迎えていましたが、今年は握り鮨といつものだし巻き玉子、そして野菜は菜の花の酢味噌かけとブロッコリーという献立。大工の棟梁に以前作ってもらったヒバのまな板に鮨を盛り付け演出。布製ランチョンマットは抑えた赤が気に入って思わず無印良品で求めたもの。今回は2枚に折って小さく使いました。

 

これからの人生の第4コーナーを「どう生きるか」そして、日々「どう過ごすか」を意識して暮らしたい。正月早々にある作家(66歳)の訃報が届き、ショックを受けている。15年以上前に画廊の人の紹介で初めて京橋のギャラリーで竹を使った独特の個性の作品を観たとき、夫も私も物凄く惹きつけられたのを憶えている。かつて夫の個展にも何度か足を運んで下さった。年賀状にはいつも力の籠った短いメッセージが添えられ、まだお目にかかっていない私は、いつか必ずお会いしたいと想っていた。でももう、いつかは永遠にやってこない・・・。 日々どう過ごすか、、、時には自分を瞬発させなければ、、、。

 

「名もなき家事」について

「名もなき家事」という言葉を聞いたのは2年位前だろうか、、、洗剤やトイレットペーパーが少なくなったら買い足したり、トイレのタオルを取り替えたり、乾いた洗濯物をたたんで仕舞ったり、出しぱなしのその辺のものや新聞・チラシを仕舞ったり、誰かがそんな家事とも云えない家事をしてることで日々の暮らが支えられている。そういうものに「名もなき家事」という存在感を与え、多くの共働きの女性の共感を得た。掃除、洗濯、調理だけが家事なのではないということを気づかせた。

20代から40代の共働き夫婦の家事参加率の割合に関する調査(ハウスメーカー実施)によると、妻の認識で「夫1割:妻9割」、夫の認識で「妻7割:夫3割」との回答が多かったという。この結果から、妻が思っているよりも「自分はやっている」と思っている夫が多いというのがわかった。

実家に住んでの独身が長かったせいで、夫の側の認識にも共感してしまうところもありつつ、結婚してこの「名もなき家事」の存在に気づかされた。実家にいると洗剤もトイレットペーパーも常にあったし、洗濯物は母がちゃんとたたんで置いてくれた、勿論、献立を考える事も冷蔵庫の中身を気にすることもない生活だった。そんな人間でも変わることが出来るのだと自分で経験して、そう思う。

いまや冷蔵庫の中の賞味期限も自然に頭に入って暮らしている。青じそは瓶に少し水を入れて保存すると驚くほど長持ちする事も知ったし、最近、生姜はすっぽり水にひたしておくとこれもまた長く保存できると知って、悦に入っている。そして冷蔵庫に納まった姿が可愛い。「名もなき家事」があればこそ、時にはこんな「名もなき充足感」も味わえることがあるような気がする。「ありがとう」と夫はよく云ってくれる。このシンプルな言葉もきっと「名もなき充足感」に入るような気がする。家事負担何割云々よりも、互いの存在がこころの拠り所となっているかで感じる度合いが違うかもしれない。肝心なのは、思いやりであり気遣いなんだと想う。

 

捨てられないレシピ

もうこれらのレシピで料理を作ることもないと想いながら、捨てられずに持ち続けているレシピファイル。30年以上前、8年間料理教室に通っていた。日本料理は教室主催の先生、西洋料理はホテルのシェフ、中華料理は当時市内で人気の中華料理店のオーナーシェフで専門的な料理を学んでいた。当時はグルメブームで教室が終わってからもよく先生と生徒でいろんな店に食べにも行っていた。あの頃は青森市内でも気の利いた店がいろいろあって面白かった。こんなご時世になるなんて想ってもいなかった。

西洋料理のレシピを開くと、”フィレ・ド・ブーフ・プティ・レギューム” 牛ヒレのソテーに生クリームやドミグラスソースで煮詰めたソースをかけるというもので、よくもまあ家庭料理とかけ離れたものを作っていたものです。それでも、何だかこうして眺めていたら、ホタテ貝とグレープフルーツを使ったあっさりした前菜があって、久しぶりに今度作ってみようかというモードになっていて、ずっとこの間から卓上に置いたままになっている。まだまだやはりどうも捨てられない・・・・。

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